日本武道館
| 日本武道館 | |
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| 情報 | |
| 通称 | 武道館 |
| 完成 | 1964年 |
| 開館 | 1964年10月3日 |
| 開館公演 | 東京オリンピック・柔道競技 (1964年10月20日 - 23日) |
| 収容人員 | 14,471人 |
| 客席数 | 固定席(1階: 3,199席) 固定席(2・3階: 7,846席) 立見席(3階: 480席) 仮設席・アリーナ(最大2,946席) |
| 延床面積 | 21,133.3m² |
| 用途 | 武道・武術の試合、競技イベント全般 音楽コンサート 政党大会、集会等 |
| 運営 | 財団法人日本武道館 (会長: 松永光) |
| 所在地 | 東京都千代田区北の丸公園2番3号 北の丸公園内 |
| 位置 | 北緯35度41分35.2秒 東経139度44分57.7秒座標: 北緯35度41分35.2秒 東経139度44分57.7秒 |
| アクセス | 地下鉄九段下駅2番出口より徒歩5分 |
日本武道館(にっぽんぶどうかん、Nippon Budokan)は、東京都千代田区北の丸公園にある武道館。運営者は同名の財団法人日本武道館。日本伝統の武道を普及奨励し、心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とする。日本武道協議会加盟。武道以外の屋内競技施設、多目的ホールとしても利用される。現在の会長は松永光。
目次 |
地史
詳細は「北の丸公園」を参照
日本武道館のあたりは、元々太田道灌が江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧・田安明神)が遷座したところで、のち、徳川家康が入府した際に、関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれていた。その後、徳川忠長や徳川綱重らの屋敷を経て、江戸中期以降は徳川氏の御三卿であった田安徳川家が屋敷を構えたが、明治維新後取り壊され近衛師団の兵営地となった
概説
日本武道館は、1964年開催の東京オリンピックの会場のひとつとして建設され、同年10月3日に落成。設計は山田守。法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠である。大屋根の稜線は富士山をイメージしている。
東京オリンピックでは、10月20日から4日間にわたって柔道競技が行われた。
柔道・剣道・弓道・相撲・空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道・古武道などの武道やダンス、マーチングバンド・バトントワリングの競技会(大会)・演武会などに使われるほか、民放各局が主催・放送していた、年末の賞取りレースと称される音楽祭(1988年まで)コンサートや格闘技(プロボクシング、プロレスリング、総合格闘技)の興行会場、大学や企業などの大規模な入学式・卒業式・入社式の会場として等、幅広く使用される。
設立された頃は「日本武道の聖地」的な意味合いが強かったため、1966年にビートルズのコンサートが行われた際には「日本の武道文化を冒涜する」などとして異を唱える者も多かった。細川隆元もその一人であった。
例年以下のようなイベントが開催されている。
- 毎年1月 - 2月 : 全日本書初め大展覧会(正月には大道場で席書大会が行われる)
- 3月中旬 : 全国高等学校柔道選手権大会
- 4月29日 : 全日本柔道選手権大会(体重無差別で競われる実力日本一決定戦)
- 7月下旬〜8月上旬 : 各武道連盟と合同で小中学生対象の全日本少年武道錬成大会
- 8月15日 : 政府主催の全国戦没者追悼式、
- 11月3日 : 全日本剣道選手権大会
- 11月下旬 : 自衛隊音楽まつり
館内設備等
- 大道場(アリーナ)は板張りで、柔道の競技場として使用する時は畳を敷き、コンサートでは養生シートを敷き椅子を設置したりなどする。柔道の際に使用される数百枚の畳はアリーナの地下に収納されている(建物レベルで言う地下3階)。
- 大道場の天井に掲揚してある日章旗はいかなるコンサート・イベントの場合でも降ろしてはいけないことになっている。
- 1階固定席は3,199席、2 - 3階固定席は7,846席、立見席(3階)は480、アリーナには最大2,946席まで設置できる。
- 2階スタンドにはカラー電光掲示板が東西スタンド前方の2ヶ所に設置されている。現在の電光掲示板は2005年2月に設置されたもので、小型のカラー液晶モニター(画面アスペクト比4:3)付である。
- 大道場の他、小規模な柔道場と剣道場がある。
- 各武道の学生連盟事務所や国際武道大学の事務所がある。
- 擬宝珠の下の部分には12台の換気扇があり、館内の換気を行っている。
- 武道の普及・振興の為、武道の競技場として使用する場合は利用料金の割引制度がある(コンサートの合間に演武を入れることでも適用)[1]。
格闘技会場としての日本武道館
プロボクシング興行
日本武道館でプロボクシングの試合が初めて行われたのは、1965年11月30日の世界バンタム級選手権試合:ファイティング原田(笹崎)対アラン・ラドキン(イギリス)戦である。原田はチャンピオンとしての全防衛戦を日本武道館で開催している。また1966年3月1日には、高山勝義(木村)とオラシオ・アカバリョ(アルゼンチン)との間で行われたWBAフライ級王座決定戦も日本武道館であった。
さらに、モハメド・アリ(アメリカ)がマック・フォスター(アメリカ)を相手に、ノンタイトル10回戦を行ったのも、1972年4月1日の日本武道館である。
1973年9月1日、世界ヘビー級王者:ジョージ・フォアマン(アメリカ)が、ジョー・キング・ローマン(プエルトリコ)を相手に、日本武道館で初防衛戦を行い、1ラウンドKOで勝利した。これが、日本に於ける初の世界ヘビー級選手権試合であった[2]。また、世界ヘビー級選手権試合と同日にはWBCジュニアライト級選手権試合(王者:リカルド・アルレドンド(メキシコ)対柏葉守人(野口))も開催されており、日本で初めての複数世界選手権試合開催興行でもあった。
その後も、数々の世界選手権試合が日本武道館で開催されており、プロボクシングの聖地のひとつともされている。武道館で初めて王座に就いた選手としてアレクサンデル・ムニョス、長谷川穂積、清水智信らがいる。ちなみに日本の歴史上初めてプロボクシング興行が開催された会場は武道館に隣接した靖国神社相撲場であった。
ただし、ボクシング業界が低迷している昨今では世界戦が年1,2回行われる程度にとどまっている。
プロレス興行
日本武道館へのプロレス興行の初進出はオープン2年後、1966年12月3日に行われた日本プロレスの大会で、メインイベントはジャイアント馬場VSフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル・ヘビー級選手権試合であった。
それ以降、力道山十三回忌追悼興行、アントニオ猪木VSウィレム・ルスカ、モハメド・アリの異種格闘技戦、プロレス夢のオールスター戦など数々のビッグイベントが開催された。1970年代後半は新日本プロレス、1980年代中期以降は全日本プロレスがビッグマッチ用の会場として使用した。中でも1990年代の四天王プロレス全盛期の全日本は、年間7試合ほど武道館大会を打っていたが、そのほとんどが満員札止めになる程の驚異的な集客力を誇った。
女子プロレスも度々日本武道館で興行を行なっていた。ビューティ・ペア全盛時代、ジャッキー佐藤とマキ上田の「最初のBP対決」、ジャッキー佐藤と池下ユミの善悪ライバル対決、敗者引退ルールで行われた「最後のBP対決」が行なわれ、いずれも超満員であった。その後クラッシュギャルズのブームの時はジャガー横田とライオネス飛鳥のWWWA選手権、デビル雅美と長与千種のオールパシフィック選手権が同所で行なわれこれ又超満員であった。さらに団体対抗戦時代にもアジャ・コングとダイナマイト関西のWWWA選手権をメインに据えたオールスター戦が行なわれ、やはり超満員となった。
1999年のジャイアント馬場の葬儀にも日本武道館が使用されている。2000年代に入ると、全日本プロレスから独立したプロレスリング・ノアが定期的に興行を行い、2002年2月には怪我、2007年12月には病気により長期欠場していた小橋建太の復帰戦が行われた。
2012年にはDDTプロレスリングの日本武道館大会開催が決まっている。
東京ドームのオープン以降はオールスター戦級のビッグイベントはそちらに移ったが、いまなお日本のプロレス界にとっては特別視される主要な大会場である。また日本のみならず、アメリカのプロレス界にとっても、武道館は国技である相撲を行う両国国技館以上に、日本の神聖な会場として認識されており、世界最大のプロレス団体「WWE」の日本公演にも使用された実績がある。また、国技館が「Sumo Hall」「Sumo Arena」と呼ばれるのに対し、武道館はそのままの「Nippon Budokan」や「Budokan Arena」と呼ばれる。
ただし、後述する様に有料興行での会場使用条件が大変に厳しい会場であり、プロレス業界自体が低迷している現在では日本武道館での興行自体が少なくなっている。
その他
キックボクシングもその全盛期には日本武道館で興行を開催した実績がある。1969年6月28日に行われた「東洋チャンピオン・カーニバル」の会場に使用され、メインイベントでは沢村忠が東洋ライト級王座初防衛を成功させた。
K-1も1994年に旗揚げ2度目となる興行を日本武道館で開催しており、2004年にもK-1 WORLD GP開幕戦で使用した。K-1 WORLD MAXにおいては2002年に初代王者を決めるトーナメント決勝戦を開催しており、2007年から2009年までは主会場として使用している。このため日本武道館はK-1においても重要な会場のひとつに位置づけられている。
総合格闘技ではVALE TUDO JAPAN '95やPRIDE.3の会場となった他、パンクラスが1994年から2000年までほぼ年1回のペースで使用していた。2010年4月25日には吉田秀彦引退興行「ASTRA」も開催された。ちなみに、吉田が柔道選手として出場した最後の公式試合も2002年に日本武道館で開かれた全日本柔道選手権である。
なお、日本武道館は各種格闘技興行に限らず、有料の興行・イベントに使用する場合の会場使用条件が大変に厳しい会場として知られる。
たとえばプロレスの場合、
- 団体が1年以上経営・存続されていること
- 決算書を公開していること
- 興行での黒字収支が見込めること
- 日本武道館側が負債を背負わない見解が出来ていること
- 備品・設備の破損時には即時弁償ができること
などの条件があり、これらを全て満たさなければ会場として利用することができない。プロレスリング・ノアが旗揚げから1年間会場として使えなかったり、武藤体制の全日本プロレスが日本武道館で興行を打たなかったのは、このような制約があったためである。他にも一時期プロレス界で時代の寵児となりながらも武道館大会をついに開催できなかった団体はハッスルなど数多い。
とはいえ、その様なことから、日本武道館で興行を継続的に開催できることそれ自体が、興行を行う会社・団体にとっては安定した経営基盤と集客力が揃っていることの証明ともなる一面があり、実現可能性の有無は別として、団体関係者が目玉イベントとして武道館大会の構想をマスコミの前でブチ上げるなどということはよく見られる光景である。
コンサートホールとしての日本武道館
現在ではコンサートやライブなどの各種音楽イベントでの使用が、日本武道館の使用目的と収益の大きな柱の1つになっており、セット・観客席の設営・撤収も含めて大道場の使用日程の少なからぬ割合を占めている。座席数は上記の通り合計最多14,471席であるが、コンサートホールとして使用する場合舞台設営・観覧のしやすさなどのセット配置・レイアウト面の都合から、一般的には8,000席から10,000席程度のホールとして使用されており、こちらの分野でも首都圏における主要な大型会場の1つとなっている。
特に日本を中心に活動するミュージシャンにとっては、日本武道館はコンサート会場として極めて重要な位置づけに置かれている。日本武道館の規模となると、会場としての大きさ故に興行を実現させその興行を収益・内容の両面で成功に至らせることは容易ではない。また、上述した格闘技と同様に音楽・芸能の有料興行に使用する場合の会場使用条件も大変に厳しく、大道場を借りるには費用面も含めて様々な条件をクリアしなければならない。そのため武道館公演の成功は、大規模会場での大型興行も充分に務め上げられるミュージシャンであるという「一流」の興行能力・集客力を持っていることを業界の内外に誇示する、一種のステイタスとしての意味を持っているのである。また、古くは1966年のザ・ビートルズ、1968年のザ・ウォーカー・ブラザース、ザ・モンキーズ、1975年のクイーンなど、海外の著名ミュージシャンの来日公演における使用例も数多い。
このことからロック・演歌・アイドル歌謡などのジャンルを問わず、新人やデビュー前のミュージシャンはもとよりプロの一線級のミュージシャンでさえ「武道館公演の実現」を憧れとし、これを目標に活動する者は数多い。特にバンド・グループ・アイドル歌手などでは武道館公演が活動の事実上の1つの節目となったり、解散や引退の記念として1度きりの武道館公演を実施した者も多々見られている[3]。逆にこのような大規模会場を好まず、『NHK紅白歌合戦』への出場と同様に武道館級以上の規模の施設ではライブをしないことを公言しつつ活動するミュージシャンやバンドも山下達郎[4]をはじめ少数ながら存在し、そのまま「大物ミュージシャン」と呼ばれる域にまで至るとむしろそれがステイタスとなりある種の商業的価値を持つ場合もある。また2009年に初のアリーナ公演を開催したスピッツが、「(武道館で公演を行うことによって)アリーナ公演に意味を持たせたくない」として日本武道館の使用を意識的に避けている様に、現在でも「武道館でコンサートを行う」ことには一定の影響力があり、またその影響力を避けるアーティストも存在する。
最近では、武道館の数倍の観客収容能力を持つ全国のドーム球場での単独公演、さらには、東京・名古屋・大阪・福岡・札幌の全国5大ドーム球場を巡回する“ドームツアー”が、「ミュージシャンとして最大の到達点」「日本の音楽ステージの頂点」として見なされることも多く、絶対的な価値こそ薄れてきているものの、現在においても日本武道館規模での単独公演は大多数のミュージシャンにとって大きな挑戦かつ試練である。そのため武道館公演に成功し高評価を受けることは歌手としての集客力や興行力の証明として充分な価値を持っており、現在でも音楽業界・芸能界にとっては一種の聖地的な存在として格別の意味を持つ重要なコンサート会場であることに変わりは無い。また武道館公演は時にドーム単独公演を目指すための重要な関門としても機能している一面があり、ドーム公演を目指すならば武道館公演では数日間・複数回にわたって開催される公演のチケットを概ね完売できる集客力が要求されることになる。一方でセット・機材・スタッフ・警備なども遥かに大規模になり施設利用料も高額になるドーム公演よりも各種コストが低く抑えられる武道館公演は、収益性を考えた場合には重要なイベントとなっている一面もある。
他方で、「日本武道館」の名の通り元来は音楽を主目的に建設した施設ではないため、コンサートホールとしては音楽演奏を主用途に作られた専門のコンサートホールには音響面では遠く及ばず、良好な音質で観客に聴かせるのは困難を極める欠点があり、舞台音響設備などで対処する必要がある。実際、ザ・ビートルズの来日公演では、ステージ上のギターアンプの生音と会場据付けのPA装置を通したボーカルだけで行われており、その結果演奏が全く聞こえない席が存在した(写真やビデオ映像で確認できるアンプ前とドラムキットのマイクはテレビ収録用)。その改善のために現在に至るまで様々なノウハウが培われており、武道館で培われたノウハウが同様に音響面で難を抱える全国各地の多目的ホールや体育館などでのコンサートにも応用されることが珍しくない。
また、当記述の通りの音楽ホールとしての「武道館」の知名度にあやかり、過去にはソニーが簡易ボディソニックシステム及び携帯音楽プレーヤー・ウォークマン派生の重低音システムとして、「武道館 BOODO KHAN」という商品を販売したことがある。
武道館公演の歴史
以下、特筆すべきエピソードがある公演についてのみ記す。
- 1960年代はアリーナに客を入れずにコンサートを行っていた。
- 1966年 - ザ・ビートルズが来日公演。その際アリーナには騒乱防止のため機動隊が詰めていた。
- 1972年・1973年に、ディープ・パープルの日本公演が行われた。また、1973年6月25日の公演ではアンコールを行わなかったことから、観客が暴徒化し、翌日の公演が中止になった。
- チープ・トリックは、1978年4月28日と30日の武道館公演を元に、ライブ・アルバム『チープ・トリックat武道館』 "Cheap Trick at Budokan"を発表した。当初、日本限定盤のこのアルバムが海外に輸出されて大ヒットし、本国より先行して日本では人気を得てヒットしていたバンドと共に一躍、武道館の名前が世界に広がり、海外アーティストにも憧れの会場となった。この、チープ・トリックのアルバムの大ヒットにより、他のアーティスト達が武道館公演のライブ・アルバムを続々と発売するようになる。
- 1983年12月6日 - エイジアの武道館公演を、MTVが世界に衛星生中継した。後に、これは 『エイジア・イン・エイジア』 "Asia in Asia" と題して、ビデオ化されている。
- 1985年12月13日 - 爆風スランプが、初の武道館公演。これに際して『大きな玉ねぎの下で』という曲を作った。この歌のタイトルの「玉ねぎ」とは、日本武道館の屋根の擬宝珠(ぎぼし)のことを意味している。
- 1986年7月2日 - BOØWYが、初の武道館単独ライブ。ボーカル、氷室京介が放った「ライブハウス武道館へようこそ!」のMCが、後に多くのアーティストに受け継がれていくこととなる。
- 1989年1月23日 - プリンセスプリンセスが女性のみのグループで初の武道館公演を行う。(~1996年まで計37回)この頃から続々と女性グループの武道館公演が行われるようにもなっていった。
- 2003年3月10日 - ザ・ローリング・ストーンズが、初の武道館公演を行う。ザ・ローリング・ストーンズは、1973年1月に、初来日公演を日本武道館で行う予定だったが、直前に来日が中止になってしまう事態を起こしており、このいわゆる「幻の武道館」から、30年の年月を経てようやく実現したもの。
- 2008年2月10日 - 当時喉頭癌で活動を中断していた忌野清志郎が、「大復活祭」と銘打ったコンサートを開催。当時の武道館最大動員数を更新した。オープニングでは抗がん剤治療による頭髪の変化から今日までを映したスライドが流れ、途中RCサクセションの事実上の再結成を含む3時間以上の内容で日本中のガン患者に希望を届けた。
その他の使用例
イベント
1970年代から1990年代にかけては、日本テレビ音楽祭、日本レコード大賞、FNS歌謡祭、全日本歌謡音楽祭、日本歌謡大賞といった音楽賞授賞イベントや、世界歌謡祭、東京音楽祭、日本民謡大賞、日本寮歌祭といった音楽発表会が行われて来た。その他、日本郷土民謡協会の全国大会も、ここで行われる。
また、近年では、超大作洋画のジャパンプレミア(試写会)も行われることがある。
演芸・お笑いでは、
- 1992年には、当時の人気深夜テレビ番組「鶴瓶上岡パペポTV」が、武道館初となるお笑い・トークライブを開催した。
- 1995年には、松本人志が、客が値段を決める料金後払い制ライブ「松風’95」を、2003年12月に「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称したラジオ番組『放送室』の公開録音を、
- 1997年10月には、春風亭小朝が落語の独演会も行った。
- 2007年には、テレビ番組のイベントとして、KILLERSの解散コンサートと笑福亭鶴瓶・松嶋尚美(オセロ)のトークライブの2部構成による「きらきらアフロ in 武道館」を行った。
- 2007年7月12日には。大韓民国の俳優イ・ビョンホンが写真集販売イベントを行った。後に、イ・ビョンホンの事務所が、韓国のマスメディア向けに提供した写真で、大道場天井の日章旗(前述のとおり、原則としていかなる場合でも掲揚せねばいけない)が白旗に塗り潰されていたことが問題となった。
アニメ関連のイベントでは、
- 月刊アニメージュ主催のアニメグランプリ第3〜10回の表彰式会場として使われた。
- 2008年8月には毎日放送主催で「GUNDAM OO×CODE GEASS GO!GO!5!FES '08 in 武道館」を開催した。
- 2009年3月29日には『らき☆すた』のイベント「らき☆すた in 武道館 あなたのためだから」を行った。
- 2011年1月22日と翌日1月23日には『テニスの王子様』のイベント「テニプリフェスタ2011 in 武道館~心・技・体~」を行った。
などがある。
テレビ番組
学校
入学式や卒業式等で使用。
- 国士舘大学
- 専修大学
- 帝京大学グループ
- 東京大学(卒業式は安田講堂で開催)
- 東京電機大学
- 東京理科大学
- 東洋大学
- 日本工学院専門学校(卒業式はパシフィコ横浜国立大ホールで開催)
- 日本大学
- 法政大学
- 明治大学
- 学校法人大原学園 - O-HARAスポーツフェスティバル[6]関東・信越地区大会会場として使用。
企業
- エーザイ・三菱UFJフィナンシャル・グループ - 株主総会で使用。
著名人の葬儀
内閣総理大臣経験者の本葬は、日本武道館で行われる場合が少なくない。
- 大平正芳(元内閣総理大臣。現職中に急死)
- 小渕恵三(元内閣総理大臣)
- 岸信介(元内閣総理大臣)
- 小林與三次(讀賣新聞社元社長、日本テレビ放送網元会長)
- 佐藤栄作(元内閣総理大臣。国民葬として行われた)
- ジャイアント馬場(プロレスラー、全日本プロレス初代社長)
- 正力松太郎(元讀賣新聞社社主、元東京讀賣巨人軍オーナー、日本テレビ放送網創業者・初代社長)
- 土光敏夫(元経団連名誉会長)
- 橋本龍太郎(元内閣総理大臣)
- 吉田茂(元内閣総理大臣。戦後初の国葬として行われた)
スポーツ(格闘技以外)
- 初の日本開催となった1967年バレーボール女子世界選手権の会場として使用された。
出版事業
『月刊武道』を毎月28日に発行している。
交通
脚注
- ^ 春風亭小朝『言葉の嵐』
- ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ 例として、ザ・タイガース、山口百恵、YMOなど。
- ^ 妻・竹内まりやの武道館公演のサポート・ギタリストとして出演したことはある。
- ^ 1991年は日本武道館の改修期間と重なったため(日本テレビが世界陸上を放送する関係で同番組が7月下旬に放送された影響もあると思われる)。2009年は同番組放送日が第45回衆議院議員総選挙の投開票日と重なり、撤収のための人材の確保が難しい状態を考慮し、日本武道館の使用を避けたと思われる。ちなみに1991年はこの年に現在地へ移転した東京都庁舎前、2009年は東京国際展示場をメイン会場とした。
- ^ 関東・信越地区各校の専門課程在籍の生徒・教職員や大原学園高等学校生徒(観覧のみ)などを参加対象にした体育祭で毎年10月上~中旬頃開催。
外部リンク
- 財団法人日本武道館
- 築土神社(日本武道館の氏神)
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最終更新 2012年4月21日 (土) 18:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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